オヤヂィの独言

限りある時間の中でゆっくりと・・・

我が一年を総括

平成23年ももう少しで幕を閉じる。

昨年、あれほど騒がれた「100年に一度の未曽有の不況」のはずが、僅か1年も経たずに今は全く耳にする事がない。
マスコミなんて全くいい加減なものだ。現実のうわべだけをなぞる、さも全てを分かったかのように形容し適当に言葉を作る。そこに真実は無い。

2011年、平成23年は羽ばたく為に始まった年だった。昨年末に設備投資を行いなんとか不況から
の脱却を図る年のハズだった。が、震災は全てを吹っ飛ばしてくれた。

3月11日、地震時には打ち合わせの為車を走らせていた。あまりにも大きな揺れに車を止めた。電柱が凄い事になっている。民家から家人達があわてて飛び出す。

だが立っていられない。

しゃがみ込む。

そして誰もが天を仰ぐ。

もの凄い揺れ「これはやばい、ついに来たか」関東大震災を直感する。
だが直、三陸沖と知る。
私はこの時、正直助かったと思った。日昼時であるうえ、宮城であれば被害はそんなに大きくは
無いだろうと思った。地震だけなら今の日本は十分耐えうる。勿論、被害はあるだろうが最小限に止まると思った、だが・・・。

大きな間違いであった。津波を全く予想していなかった。
後は改めて言うまでもない。あまりにも惨い惨状である

追い打ちをかけるように津波による原子力発電所の事故。

この時、我が故郷を失った瞬間である。

早いもので半年が経ち9か月、10か月と時は過ぎる。が、何度も言うが故郷の現状は何も変わって
いない。
故郷への想いも益々増すばかり。
事故直後より、甚大さはすそ野を広げ続けている。

仕事も順調とは全く言えない。羽ばたくはずが、何とか何とか食いつなぐのが精いっぱいな状況。楽ではない。仲間同士口をあければ「もうどうしようもない」のため息の連発。

設備投資の時期を誤ったか、自問してみる。震災後であればこんな冒険には走らなかっただろう。
果たして良かったのか・・・・して自答は日々答えを変える。

故郷も仕事も厳しさは間違いなく今後も続く。

全てを投げ出してしまおうか、弱気な本音だろうか脳裏に現れる。

だがこれまでの人生・背負ってる荷物、そう簡単に投げ出すわけにはいかない。

ふんばらなくては。