オヤヂィの独言

限りある時間の中でゆっくりと・・・

あれから一年という括りをするな

震災事故から一年。

賑やかしだけのマスコミはこぞって「あれから一年~」類の特集番組(記事)を組み、世間を賑やかしの状況にある。お前達には過去の事なのだろうが、震災は終わっていはいない。

被害に遭われた方やその地域の人にとってはまだ進行形なのである。
あれから一年、とんでもないまだ365日しか経っていない。

津波の映像は垂れ流し、被災地の方々を巻き込んだドキュメンタリーのようにドラマを演出する番組には大いに怒りをおぼえる。

現地の人だけに限ったことではなく、あの時は全ての人にドラマがあった。
いや、ドラマなんかではない、耐え難い現実があった。
それをお涙頂戴的な番組に演出する番組は最早作り物である。
そこに真実はない。
耐え難い現実なのに、都合のいい脚色。
そんなマスコミにあれから一年という括りをする資格は無い。

真の報道をするというのならナレーションは要らない。現地の映像、現地の声を加工をせずそのまま流せばいい。くだらないコメントなんかもっての外。
東京のスタジオでヘルメットかぶって一生ほざいてろ。

ここに来ての報道とは政府・東電の誤魔化しを暴くべく、原発地域の放射能レベルを生で測るとか
一部報道された、放射能測定地域での土の入れ替えが本当に行われているのか、政府から言われている原発の現状が本当はどうなのか、全て検証するといった姿勢であるべきではないかと思う。

ただ、あれから一年というばかりで自分達は安全地域に住み、全て終わったかのような報道のあり方はあまりにも酷い。

オヤヂィの姪はこの4月から東京の大学に通う。この姪の父親(オヤヂィの実兄)はつぶやく。
『本当は近くにおいておきたいし近くの大学に通わせたかった。だが放射能の事を考えて少しでも福島から遠くの学校に行きたいって言われちゃ引き留められないよなぁ~』

友人もそうだ。『就職は地元でと思っていたけど、放射能の事を考え遠くにした。』

家族がバラバラになっていく。それでも親達は少しでも安全なところへと、子供達の将来を考える。

あれから一年などではない。まだ何も終わっていない。
まだ一年。

苦悩の日は何年(何十年)続く?・・・・・。