オヤヂィの独言

限りある時間の中でゆっくりと・・・

痴呆を考える

毎2ヶ月の健診、結果は毎度並み。

 

が、待合室で考えさせられる光景を現実視した。

 

70~80代の車椅子ご婦人。付き添いなのかご主人なのか、または息子さんなのか初老の御仁がサポートしている。

自販機にてホットの飲み物を注文、しきりに「熱いからゆっくり飲んでゆっくり」と声を張り上げ注意する御仁。

それでも普通に飲もうとしているのだろう、「やけどするからゆっくり!」連呼する度に語気が強くなる。

 

病院の待合室。いくら総合病院とてそんなに大きい訳でもなく、静まり返っている待合室には特に響く。待っている人は誰もが知らぬふりをきめているが、痴呆に対じする家族の本当の声がそこにある。

 

このご婦人、今度はお腹が空いたので食べに帰ろうとせがむ。御仁は「ちゃんと来る前に約束したでしょ、帰ってから食べるんでしょ」と言い聞かせるが駄々をこねる子供と全く同じ。お腹が空いたをさらに連呼。

負けずに「帰ってから!」の返答の語気がさらに強くなる。

 

ここまでくると待合室に響き渡る声。

 

これは現実である。

ドラマではこういった描写の後にハッピーエンドが待っているわけだが、現実にはそんな事は全く無く、延々と繰り返される。

 

御仁には演技の優しさなんか全く無い。

手の焼く厄介に疲れきった感じで語気は荒い。

 

この光景に、自分にも近い将来必ず起きることか?と自問してしまう。

痴呆は病気と分かっていても苛立つ姿に自分をかぶせてしまう。

また逆に痴呆のご婦人が自分であったなら、家族にこういった思いをさせてしまう。

歳を重ね必ずボケてしまう、というわけではないのだろうが、近い将来に不安はつのる。

 

いっそそこまで行く前に自分で旅立つかとの思いも過ぎるが、その判断すら困難になるとも限らない。

 

亡き父も通院生活時にはやはり同じ光景があった。自分も含め子供達は冷たく強い態度でのぞんでいた。

 

今度は自分の番。

 

せつに考えてしまう。